自分語りを少し(MCにて)

本日はお集まりいただきありがとうございます。
イベントタイトル通り、先日24日で40歳を迎えました。


今のところ年齢を重ねることが嫌という感覚はなく、
たくさんの人に”おめでとう”と言ってもらえる1年に1度の嬉しい日です。


ここで少し自分語りをさせてください。


もしかしたら”生誕祭”と言われるライブは
今回が最後かなとも思っています。
だからこそこの40という節目の年は
自分で企画してでも絶対やりたいイベントでした。


わたしは小学3年生から芸能界で活躍して、有名になることが夢でした。
小学校の卒業文集にもそう書いていました。


中学生になってからは、東京のプロダクションに入って、
レッスンのために東京と新潟を行き来する生活をしていました。


沖縄アクターズスクールに入りたくて、
沖縄に引っ越すことも考えた時期もありました。
もちろんいろいろな理由でそれは無理でした。


高校進学も東京の高校に進学することを本気で考えていました。
親に説得され、泣く泣く新潟の高校に進学しました。


今考えれば毎週のように東京に通えていた環境にいたこと、
本当に感謝しかないです。


映画のオーディションを受けました。
ドラマのオーディションを受けました。
雑誌のオーディションを受けました。
そして今まであんまり言ってはきていませんでしたが、
モーニング娘。のオーディションを受けました。
AKB48の初期メンバーオーディションも受けました。
高校卒業後上京して、avexのスクールに入りました。


新潟でカラオケがうまいと言われて調子に乗っていた結果、
人生最大の挫折を味わいました。
東京に集まってくる人たちは
考えられないほどうまい人たちばかりでした。


とにかく有名になりたかった。
でもご存知の通り、有名にはなれませんでした。


東京で有名になりたいと思っていた小3からのわたしの夢は
いつの日か散りました。


いろいろな事情があって新潟に帰ってきて、
それでも音楽が好きで、新潟で活動を始めました。
ユニット活動もしました。
ソロ活動もしました。
そして今ここにいます。


子どものころに描いていた夢とは少し違うけれど、
芸能活動をするということは叶っているのかなと思います。


芸能の世界は若い子が有利です。
チヤホヤされるということはもうありません。
だけどこうしてanniversary LIVEに足を運んでくれるみなさんがいて、
わたしは本当に幸せ者だと思います。


だけど、いくつになっても心は女の子だし、
若い子と同じように扱ってくれると最高に嬉しいです。


長くなってしまいましたが、
芸能活動を始めていつの間にか26年がたちます。
芸人さんで言うと、
千鳥さんと同期らしいです。


どんなに芸歴を重ねても優しさ溢れる、
低姿勢でいれる人でいたいです。


そして新潟で知らない人がいないくらい
”塩野真那”を知ってもらえるように
お仕事をして行けたらいいなと思います。


最後に。
この人がいなければ音楽好きにはなっていなかったかもしれない。
この人がいたからずっと芸能界で有名になりたいと思っていたのかもしれない。
そんな人の曲を歌わせてください。


今日は
「Mana Shiono 40th anniversary LIVE〜90’s Loves〜」に
お越しいただきまして本当にありがとうございました。


塩野真那

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